インタビュー

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対談 日本教育再生機構理事長八木秀次氏

2014.12.21

「国史」を語る国へ

 
日本教育再生機構理事長 八木秀次氏(以下、八木) 会頭就任おめでとうございます。
柴田会頭(以下、柴田) 有難うございます。
八木 この度、柴田会頭にお話をお聞きしたいと思ったのは、今年度日本青年会議所は、「国史会議」を立ちあげられたとお聞きしたことにあります。39歳という若い方が、「国史」という言葉を使われていること自体、とても頼もしく感じるのですが、ほとんどの日本の若者は「国史」と聞いても、ぴんとこないと思います。なぜ、「日本史」ではなく、「国史」なのでしょうか。
柴田 例えば、今は小・中・高と「国語」という教科があり、その名称に疑問を持つ人や、批判する人はいないと思いますが、例えばそれが「日本語」という科目名だったらどう感じるでしょうか。何か客観的で、突き放した印象を受けるのではないでしょうか。
八木 確かにそうですね。
柴田 「日本語」では、普段自分たちが使っている言葉を学ぶという感じがしません。「英語」、「中国語」などと並列に並ぶ表現だからです。それが歴史教育に起きていると思うのです。本来ならば、日本人が日本語の読み書きができるのと同様に、国の歴史というものも、自然と国民1人ひとりの体の中に植えつけられるべきはずです。それにもかかわらず「日本史」では、自分自身の歴史を学ぶという意識ではなく、受験のために学ばなければならないたくさんの教科のなかのひとつになっています。ですから「日本史」ではなく、やはり「国史」と呼ぶべきだと思うのです。
八木 戦前は「國史」という教科があったわけですが、柴田会頭はいつごろからこのようなことをお考えになられたのでしょうか。
柴田 実は、そんなに昔からきちんとした問題意識を持っていたわけではありません。最近は、日本史必修化に向けてすすんでいますが、私の高校時代は、日本史と世界史は選択制でした。私は日本史を選びましたが、その時に、ここで世界史を選んだ人たちは、一体いつ自分たちの歴史を学ぶのだろうかということを疑問に感じたことが最初ではないかと思います。
八木 確かに理系や私立の多くは、日本史を勉強しなくても受験できます。
柴田 そうです。そして本当にお恥ずかしいのですが、高校で日本史をしっかりと勉強したにもかかわらず、私が「神武天皇」についてきちんと知るのは大学を卒業してからです。社会に出て、青年会議所に入り、多くを学び、そして海外の人たちと交流することで、私たちが生きている日本という国は、非常に稀有な成り立ちであり、そしてとても素晴らしい文化があることが分かってきました。一方で、ほとんどの「国民」がそれを知る機会がなく、当然誇りにも思っていません。一体これは何なのだと、知れば知るほど愕然としていったのです。
 

日本の〝深層海流〟

 
八木 「国史会議」は、「国史」をきちんと子供達に教えていくために立ち上げられたとのことですが、柴田会頭にとっての「国史」の核となるものは何なのでしょうか
柴田 日本は、民族、言語、国土、文化、宗教というナショナリズムの五大要素がほぼ一致し、しかもそれが自然に成立した「自然国家」です。そしてこれは、神話にはじまる建国より万世一系の皇室を中心とした〝深層海流〟のような悠久の流れが源になっていると思います。日本人の精神性の起源は、神話に描かれています。この国の成り立ちを知らずして、これからの日本を切り開く国民を育むことはできないと考えます。
八木 まず建国について知らなければならないということですね。
柴田 そうです。日本青年会議所で、中学校の歴史分野の教科書をひと通り確認したのですが、普及率50%を超える出版社の教科書は、建国についての記述、つまり神話や天皇についてほとんどふれていません。
八木 私たち日本教育再生機構が関わっている育鵬社の歴史教科書は、神話や建国についてきちんと取り上げていますが、残念ながらそのシェアは約4%にとどまっています。
柴田 中学校では建国精神について学ばず、そして高校で日本史を選択しなくてもいいのであれば、ほとんどの子供たちが知らないのも当然と言えます。その証拠に、昨年、東京大学の学生100人にヒアリングを行なったのですが、その結果、2月11日が何の日が知っている学生は14人、初代天皇である神武天皇を知っている学生は15人という驚くべきものでした。東大生ですよ。
八木 他の大学の学生に聞くのが恐ろしいですね。
柴田 さらに言えば、彼らのほとんどがナポレオンやジョージ・ワシントン、毛沢東については多くの知識を持っています。それは受験に出るからなのですが、果たして一体どこの国の国民なのかと疑いたくなります。
八木 確かに、今の子供たちは日本神話は知らずに、ギリシャ神話やローマ神話は知っていたりします。マンガやゲームの影響のようですが。
日本は特殊な国であり、いいものは常に外から来ると理解しています。もちろん、そう教えられているからなのですが。実際は、そんなことはないわけです。会頭は先ほど、〝深層海流〟と表現されていましたが、最近は縄文1万年の文化力というものが再評価されています。つまり縄文1万年で育んできた文化力があり、そのしっかりした基礎・土台があったおかげで、その後の歴史の中で外国の文化を受け入れ、そのいいところのみを取り込み、日本化していくことができたのです。
 

「建国記念日」を目指して

 
八木 具体的に、この「国史会議」はどのような活動をしていく予定なのでしょうか。
柴田 ひとつ力を入れていきたいのは祝日についてです。
八木 先ほど話題に挙がった2月11日は、もちろん「建国記念の日」ですね。
柴田 祝日は、「建国記念の日」に代表されるように、天皇陛下を中心とした長い歴史と深い文化のあらわれです。例えば「勤労感謝の日」は、今はただ働いているお父さんお母さんに感謝する日と子供たちは教えられていますが、実際は、収穫物に感謝する行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったと伝えられている新嘗祭がもとになっているわけです。祝日は、子供たちにも親しみやすいものですので、「国史」を身近に感じてもらうきっかけとして、まず祝日の本当の意味を感じてもらえる事業を企画しています。
八木 それはいいですね。
柴田 祝日というのは単に休日であるだけでなく、日本人として自らのルーツを見つめなおす日として、自然にこの国の過去・現在・未来を言祝ぐ日としたいのです。そして、そのためには、「建国記念の日」を「建国記念日」にする運動もしたいと思っています。
八木 「の」を抜くということですね。この建国の日は、記紀神話をもとに明治時代に紀元節として設定されたものですが、この日であるという明確な科学的根拠がないということから、「の」が入れられているわけですが。
柴田 これを批判している人は、聖母マリアからの流れを語り継がれているキリスト教も、非科学的であると非難するのでしょうか。
八木 聖書には、どこにも12月25日にキリストが産まれたとは書いてありません(笑)
柴田 「建国記念の日」という表現は、ある意味、神話を軽視している表現とも言え、本当に問題だと思うのです。ただし先ほどの東大生のように、現状は何が建国かも分からない「国民」が大半なのですから、まず初代天皇である神武天皇が即位した日であるということを子供たちに知ってもらい、しっかりと「建国」を祝うムーブメントを起こせたらと思います。2月14日のバレンタインデーにチョコを贈るぐらいなら、その3日前にしっかりとお祝いしましょうということです(笑)
八木 「国史」の教材作成も考えているとお聞きしました。
柴田 子供たちの「国史」教育のために、学習指導要領などにとらわれない、学ぶ人たちが、自国を誇れる歴史観や知識を育むことができる教材をつくりたいと思っています。私たちの「国史会議」は、単に今年度のみの運動ではなく、将来的には、教育現場に「国史」という教科をつくり、必修化させることを目指していますので、その意識を高める契機になるようなものが作成できればと思っています。
八木 「国史会議」で進められようとしている事業は、義務教育における歴史教育はいかにあるべきかという問題提起になると思います。戦前の「国史」の教科書は、〝国民意識の涵養〟という観点から作られていたわけです。つまり義務教育においては、本来まず国民の情操や国民のアイデンティティを育むという趣旨の教育でした。その後の高等教育で、より実証的な勉強に進めばいいのであり、義務教育の段階の歴史教育とはいかにあるべきかという問い直しになるのではないかと思います。
 

「成熟したナショナリズム」とは

 
八木 「国史」はもちろんのこと、日本では「ナショナリズム」という言葉は、とかくマイナスイメージが強いものです。そのなかで、柴田会頭は「所信」のなかで、「成熟したナショナリズム」という言葉を使われています。これはどのような意味でしょうか。
柴田 戦時中の日本の軍国主義の関係や、現代においても、中東やアフリカの多くの紛争の原因とされることで、「ナショナリズム」がいかに否定的に捉えられているかは、もちろん認識しています。しかし、青年会議所の提唱する「ナショナリズム」は、そのような排他的もしくは原理主義的なものを指すものではありません。それを、私に気がつかせてくれたのは、3年前の東日本大震災です。
八木 あの震災における、日本人の冷静かつ勇敢な姿勢は世界から絶賛されましたね。
柴田 本当に感動しました。一方で、なぜあんなことが自然とできるのだろうかと不思議でならなかったのです。正直、学校の道徳教育がそんなに行き届いているものとは思えませんし、家庭の絆や地域社会のコミュニティも昔に比べて、豊かなものが存在しているとは思ってなかったからです。
八木 確かに学校の「道徳の時間」は形骸化しているため、「教科化」されることが決まっています。また現在の安倍政権が「地方創生」を最重要テーマとして掲げているように、地方の過疎化・疲弊化は深刻な状況です。
柴田 それにもかかわらず、東日本大震災における、一人でも多くの同胞を救いたいという多くの日本人の行動は、日本にゆるぎなく存在する国民の連帯感のあらわれでした。連綿と続く共通の文化や伝統の中で価値観を共有し、何かあったときには、自然に共助・互助の精神が働くのは、顔や名前を知らなくても、同じ日本人であるという〝確固たる絆〟が存在しているからだと確信しました。私たちはそれを「成熟したナショナリズム」と呼びたいのです。
八木 日本青年会議所では、これまでも「徳育ゼミナール」を開催するなど、道徳教育にも熱心に取り組んでこられていますが、その〝確固たる絆〟、つまり「成熟したナショナリズム」と道徳心は同じものでしょうか。
柴田 私は、少し違うと思っています。この本質は、道徳以前の〝情緒〟のようなものです。例えば、「玄関にさりげなく季節の花を飾りお迎えする」や「夏の来客時には、玄関に打ち水をしてお迎えをする」などの心配りは、自己犠牲といった仰々しい徳目ではなく、もう少し些細な、しかしとても大切な心の動きです。自然国家である日本において人間関係を構築する基本は、相手を慮るという情緒です。善悪を規定する道徳ももちろん大切ですが、道徳以前の、「何をすることが美しいのか」という日本人特有の行動基準こそ、今私たちはもう一度見直すべきだと思うのです。
八木 確かに「美しい生き方」という表現があるように、日本人が本当に大切にするのは、「物のあはれ」に代表されるような美意識と言えます。美しく生きた人たちの話に、私たちは感動し、心が動かされるのですから。
柴田 本当にそうだと思います。「どう生きるのが美しいのか」という美意識によって、日常生活の態度や姿勢から社会生活の倫理までが形作られていることが本当に素晴らしいのです。もちろん「徳育ゼミナール」は、今年度も積極的にすすめていきます。これは失われつつある道徳心を、子供たちが見直し、実践・習慣化してもらうためのワークショップですが、これからは親子で、そして家庭でより活用しやすいものにするために検討していく予定です。今、求められている「日本人としての生き方」は、特に親から子を中心に、世代を超えて受け継いでいかないといけないものと考えます。
 

当たり前のことを、当たり前に

 
八木 今年は、戦後70年という節目の年です。安倍政権は、発足時から一貫して戦後レジームからの脱却を掲げており、さらに今年の夏には、中学校教科書採択があります。つまり、当機構にとっても、そして日本にとっても大変重要な年なのですが、その年に日本青年会議所において「国史会議」を立ちあげられたのは、本当にありがたく、頼もしく思っております。
柴田 有難うございます。私は青年会議所で、ずいぶんと海外に行く機会に恵まれ、多くの外国の方とも交流したので実感として分かるのですが、自国の歴史を知り、それに誇りをもち、そして国を愛するということは、当たり前のことです。どの国の人も例外なくそうです。その前提があるから、それぞれの国の文化を尊重することができ、そして皆で協力して世界平和に向かって進むことができるのです。この当たり前のことが、日本でも当たり前になるように、各地域の会員会議所と連携して、多くの活動をしていきたいと思います。
 


八木秀次(やぎひでつぐ)氏
1962年生。法学者。麗澤大学教授。一般財団法人「日本教育再生機構」理事長

 


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